「文語体」の版間の差分

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*[[漢文]]
: 本来は[[中国語]]を表記したもの。古来、文字を持たなかった日本で最初に漢字を導入した際においては、日本語を文章に書くという概念が存在せず、漢字とともに漢文がそのまま導入された。後に[[訓読]]とよばれる方法によって日本語として読むようになった。また、日本語を漢文風に漢字だけで書いた'''変体漢文体'''も行われた。
*:*[[漢文訓読体]] '''(漢文直訳体)'''
:: 漢文を訓読により[[仮名交じり]]で書き下したもの、または初めからこの形で書いた文体。和文体よりも単純・定型的。公文書や[[漢詩|詩]]などに用いた。[[奈良時代]]からのものであるが、19世紀においても一般的な論説はこの文体で書かれた。第二次世界大戦前に制定された[[法律]]の文体もこれに近い。
*[[宣命体]]
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: 文末に丁寧の[[助動詞 (国文法)|助動詞]]「候(さうらふ)」を使う文体で、[[鎌倉時代]]以降用いられた。江戸時代には、公文書や商用文書などの他、私文書<ref> 候文を使用した書簡の例として例えば『芭蕉書簡集』萩原恭男 校注、岩波書店(岩波文庫)1976年がある。
</ref>でも用いられ、社会活動上で書面を用いる場合の標準文体であった。口語文における「です・ます体」のようなものとも考えられ、書簡を中心に明治・大正・昭和初期<ref>社団法人・同盟通信社『時事年鑑・昭和14年版』1938年(昭和13年),189~190頁,これらの頁には、「ロンドン海軍条約による主力艦及巡洋艦の建艦制限の遵守の保障に関する英国大使・対日通告文」および、それに対する「帝国政府・回答文」がいずれも「候文」で書かれている。
</ref><ref>野村泰治『作法・文範・現代作文大辞典』金竜堂書店、1934年(昭和9年)、2頁,ここで著者は、書簡文は、候文でも、口語体でもいずれも差し支えないと述べて、多くの候文の文例を記載している。
</ref>まで使われた。
 
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<references />
 
== 関連項目 ==
* [[文語の苑]]
* [[日本正教会訳聖書]] - 一[[キリスト教諸教派の一覧|教派]]全体で公式に[[奉神礼]]([[礼拝]])に使用される[[聖書]]としては現在の日本で唯一の文語訳。[[漢文訓読体]]。
 
== 参考文献 ==
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|isbn=9784759310009
}}
 
== 関連項目 ==
* [[文語の苑]]
* [[日本正教会訳聖書]] - 一[[キリスト教諸教派の一覧|教派]]全体で公式に[[奉神礼]]([[礼拝]])に使用される[[聖書]]としては現在の日本で唯一の文語訳。[[漢文訓読体]]。
 
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