「エクアドルの歴史」の版間の差分

[[ファイル:Figura masculina cultura Bahía (M.Am. Madrid) 01.jpg|thumb|180px|right|バイーア文化の土偶。特徴的ないぼ状の頭飾りをつけていて、神官の座像と考えられている。]]
 
エクアドル南海岸グァヤス地方に興ったバルディヴィア文化(紀元前4000年頃から同1500年頃)は、おおむね10cm弱で呪符のように平たくてのっぺりとした女性の土偶とTの字型、三角形、様式化された人面装飾、羽状ないしヘリンボーン([[杉綾文様]])のような文様をはじめとする幾何学的な刻線文、貼付文、爪形文などさまざまな文様を刻んだ土器で知られる。そういった文様と丸底の鉢が多いという特徴は、土器がヒョウタン容器を模して作られたことを示している。土器の文様のうち、一部のものが[[九州]]の[[縄文時代]]前期から中期の初頭の土器、例えば曽畑式などと酷似していることで知られる。バルディヴィア遺跡を調査したエヴァンス夫妻やベティ・メガースが60年代に唱えた「太平洋横断伝播[接触]説」(Pacific Contact)[[古田武彦]]「倭人南米交流説」などがある<ref>『倭人も太平洋を渡った』『海の古代史』</ref>。実際に伝播があったかどうかについては、[[型式学的研究法|型式的な比較]]ですべてが同じではあるとはいえないことと、器形や伝播経路などから考えて不可能であるため、受け入れられていない。また、遺構としては、茅葺様の住居跡や祭祀を行ったと思われる公共的な建造物がつくられた。現在確認されている最大級の集落遺跡としては、サンタエレナ半島南部の海岸から2km内陸に位置するレアル・アルトが挙げられる。レアル・アルトは、[[紀元前2800年]]から同2600年ごろに著しく発展を遂げ、その規模は300m - 400m四方にまで達した。集落は、祭祀用と考えられる建物二棟がある長方形の広場を囲むように住居が配置されていた。
生業としては、一般的に魚骨や多量の貝殻、[[カニ]]の殻のほか鹿骨なども確認されるほか、トウモロコシ、ヒョウタンに加えて、[[タチナタマメ]]、[[カンナ (植物)|カンナ]]などの栽培がおこなわれていたことが植物遺存体や[[プラント・オパール]]分析で判明している。また装身具のなかには[[ペルー]]でも用いられていた貴重品である[[スポンディルス貝]]([[ウミギクガイ]])で作られた首飾りや面などがみられ、かなり遠方との交易が行われていたことも示していた。
 
45,811

回編集