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近代資本主義社会においては、労働力再生産の観点から企業が使用人と家族の生活の維持について一定の役割を果たすようになり、家族扶養手当制度、健康保険制度、労働災害保険制度、社会保険制度などの扶養制度(社会的扶養)が設けられるようになった<ref>於保不二雄・中川淳編著 『新版 注釈民法〈25〉親族 5』 有斐閣〈有斐閣コンメンタール〉、1994年4月、472頁</ref>。
 
また、生活困窮者の増大は社会不安をもたらすことから、生活保護制度などの国家扶養制度も設けられるようになった<ref>於保不二雄・中川淳編著 『新版 注釈民法〈25〉親族 5』 有斐閣〈有斐閣コンメンタール〉、1994年4月、472頁</ref>。本来、公的扶養は貧民の救済を目的としたものであり<ref>泉久雄著 『親族法』 有斐閣〈有斐閣法学叢書〉、1997年5月、298頁</ref>、日本では[[1874年]](明治7年)12月[[恤救規則]][[1932年]](昭和7年)[[救護法]][[1937年]](昭和12年)[[母子保護法]][[1945年]](昭和20年)[[軍事扶助法]]が制定された。そして、戦後、[[日本国憲法第25条]]の「すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する。」(第1項)と「国は、すべての生活部面について、社会福祉、社会保障及び公衆衛生の向上及び増進に努めなければならない。」(第2項)の理念のもとに[[生活保護法]]が制定された。この日本国憲法第25条は[[生存権]]について明規したもので画期的なものであった。国家扶養に対する考え方によっては究極的にはすべての資源を国家が統合して国民に分配すべきということになりそうだが、日本国憲法は私有財産制を保障していること([[日本国憲法第29条]])、[[日本国憲法第27条]]1項が勤労権について定めていること、個々の労働・財産の取得には幸福追求としての側面があること([[日本国憲法第13条]])などから、あくまでも個人の自由な資産形成と自立自助が基本原則とされる<ref>於保不二雄・中川淳編著 『新版 注釈民法〈25〉親族 5』 有斐閣〈有斐閣コンメンタール〉、1994年4月、724頁</ref>。
 
=== 親族扶養優先の原則 ===