「横浜カントリークラブ」の版間の差分

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1958年当時の[[横浜市]][[保土ヶ谷区]]は芝の一大生産地であった。そこに目を付けたのが[[東京都]][[大田区]]に六郷ゴルフ倶楽部を経営していた[[相山武夫]]である。
当時六郷ゴルフ倶楽部は台風シーズンになるとその補修用芝を保土ヶ谷の芝生産者から仕入れており、そのため、度々この地を訪れていた[[相山武夫]]は現在の横浜カントリークラブの地にゴルフ場用地として適性を見出し本格的コースの建設を決意して、1958年11月、[[横浜カントリークラブ]]経営会社である[[横浜国際ゴルフ倶楽部]]を設立した。
その後1959年6月コース造成に着手、基本設計は[[相山武夫]]自身が行い竹村秀夫が協力、同年9月にはクラブハウス建設も始まった。
そして1960年8月、東コース9ホールの規模で開場、1961年東コース9ホール、1963年西コース9ホール、1964年西コース9ホールの増設を経て、当初計画通り東西36ホール規模となり、現在に至っている。
開場当時、西コースへはバスで移動していたが1970年9月に新クラブハウスが竣工したことから、東西コース共クラブハウス前よりティーオフできるようになった。その後、戦略性向上を目的として数度に亘り大規模コース改修を実施、が行われている(西コース高低差解消改修(1988〔1988、開場40周年の東コースのベント1グリーン化改修(200〔2000、同50周年の東アウトコース全域の高低差解消改修(2010〔2010〕等等が実施されている
この他、2015年には西コース全域においてベント1グリーン化を含む近代化改修とクラブハウス改修が計画され、準備段階に入っている。
(引用:ゴルフマネジメント2013年9月号)
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