「粟屋仙吉」の版間の差分

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[[1945年]][[8月6日]]、[[広島市への原子爆弾投下|原爆]]により同市[[加古町・住吉町 (広島市中区)|水主町]]の市長[[公舎]]で三男、孫(長女の子であり、数日前から預けられていた)とともに即死。[[女中]]とともに公舎裏手の台所で被爆し重傷を負った妻の幸代も翌月死亡し、この母を看病しに広島へ駆けつけ最期を看取った次女もその年の11月に二次被爆の影響でこの世を去った<ref>[[門田隆将]] 『康子十九歳 戦渦の日記』 [[文藝春秋]]</ref>。
 
現在、公舎跡に近い[[広島市]][[中区 (広島市)|中区]]の[[元安川]]に架かる[[萬代橋 (広島市)|萬代橋]]西詰め南側の堤防上の緑地帯に、同市により「被爆市長官舎跡」の[[石碑]]とその説明板が建てられている。
 
== 人物像 ==