「疲労 (材料)」の版間の差分

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材料に対する「疲労」という用語を最初に用いたのはフランスの[[ジャン=ヴィクトル・ポンスレ]](Jean-Victor Poncelet)である。ポンスレは[[1825年]]頃から[[メス (フランス)|メス]]の兵学校で、材料の疲労についての講義をしていたといわれる<ref name = "絵とき「金属疲労」基礎のきそ"/>。ポンスレの疲労の発生機構の仮説は、繰返し荷重によって鉄の繊維状組織が結晶化して脆化することによる、というものであった。<ref name = "機械材料学_37"/>
 
文献記述としては[[1837年]]、ドイツのウィルヘルム・アルバート(Wilhelm Albert)が、[[鉱山]]の鉄製チェーンの疲労に関する実験結果を報告したものが最初である<ref name = "図解入門よくわかる最新金属疲労の基本と仕組み_12-14"/>。実験では、安定した繰返し荷重を実験対象のチェーンに与えるために、[[水車]]の仕組みを利用していたとされる<ref name = "図解入門よくわかる最新金属疲労の基本と仕組み_12-14"/>。
 
[[1853年]]にはフランスのA.モランが郵便馬車の車軸について、走行距離が7万kmを越えると破壊が始まることから、6万kmを走行した時点で点検・交換することを指示した記録が残されている。これが疲労破壊に対する予防保全の最初の例である。