「ソビエト連邦共産党中央委員会」の版間の差分

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[[1989年]]以前の中央機構は、多くの委員部を含めて経済に対して責任を負った。その中で、全体として経済、機械製造、化学工業がこれらの部門に含まれていた。[[ペレストロイカ]]の過程の一部として、党は市場のために政府組織とより大きな役割に賛成し、日々の経済運営から除去するためこれらの部門を廃止した<ref>[http://lcweb2.loc.gov/cgi-bin/query/r?frd/cstdy:@field(DOCID+su0195)]</ref>。
 
=== 中央委員会部局 ===
中央委員会には事務局の他、20余の部門別直属部局が設置された。ブレジネフ期からゴルバチョフ期まで24の部局が確認されている。これら中央委員会部局はそれぞれの分野における党の政策立案や関連分野の政府各省庁の指導、監督に重要な役割を果たした。
* 総務部
* 組織・党活動部
* 行政機関部
* 投書部
* 宣伝部
* 文化部
* 科学・教育機関部
* 海外要員部
* 国際部
* 国際情報部
* 社会主義党連絡部
* 軍事部(陸海軍政治総本部)
* 国防工業部
* 機械製作工業部
* 化学工業部
* 重工業部
* 建設部
* 運輸・通信部
* 軽工業・消費財部
* 農業・食品工業部
* 農業機械製作部
* 商業・サービス部
* 経済部
* 事務局
 
=== 1988年に設置された委員会 ===
1988年9月30日から10月1日、中央委員会総会が開かれ、中央委員会内に6つの委員会が新設された。従来の24ある部局の一部の業務を委任され、書記局の機関も半減されることが観測されたが、委員会と部局の実務上の関係が不明瞭であり、イデオロギー委議長となった[[ワジム・メドヴェージェフ]]政治局員も「書記局の仕事がどう改組されるか、今いうのはむずかしい」と述べた<ref>ブリタニカ国際年鑑、1989年版476ページ</ref>。
* 法律委員会([[ヴィクトル・チェブリコフ]]議長)
* 農業委員会([[エゴール・リガチョフ]]議長)
* イデオロギー委員会([[ワジム・メドヴェージェフ]]議長)
* 党・人事委員会([[ゲオルギー・ラズモフスキー]]議長)
* 社会・経済委員会([[ニコライ・スリュニコフ]]議長)
* 国際政策委員会([[アレクサンドル・ヤコブレフ]]議長)
 
== 脚注 ==