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'''鈴木輝一郎'''(すずき きいちろう、[[1960年]][[7月24日]] - )は、[[日本]]の[[小説家]][[コラムニスト]]、株式会社鈴木コテ製作所・代表取締役社長。[[岐阜県]][[大垣市]]出身・在住。
 
父親は鈴木コテ製作所の前社長で、輝一郎が10歳のときから30年間にわたって[[大垣市]]の市会議員をつとめた。
25歳のとき、社員旅行の話を社内報に書いたこととワープロ(専用機)を購入したことを契機に小説の執筆をはじめた。はじめて書き上げた短編小説を小説雑誌の新人賞に応募したところ予選を通過した。これ以降、サラリーマンをしながら小説を書き、新人賞への応募を続けた。
 
28歳でタイトーを退社したとき、[[オール讀物推理小説新人賞]]の最終選考に残っていたが、受賞はならなかった。このときの受賞者は宮部みゆきであり、「かち合った相手が悪かった」と述懐している<ref>『わが懐旧のイタ・セクスアリス 小説作法・小説教室』山村正夫 P.164 1998年11月 [[ケイエスエス]]</ref>。オール讀物推理小説新人賞では、このときを含めて最終選考に3回残ったが、結局、受賞はできなかった。
 
1989年、東京で週1回、開かれる[[山村正夫]]の小説講座に岐阜から通いはじめた。ここで篠田節子らと知り合った<ref>『わが懐旧のイタ・セクスアリス 小説作法・小説教室』山村正夫 P.160-164 1998年11月 [[ケイエスエス]]</ref>。
1990年、[[星新一#星新一ショートショート・コンテスト|小説現代ショートショート・コンテスト]]に「金太郎侍」が入選し、[[星新一]]から「面白さも、たっぷり」と絶賛された。 山村正夫小説講座に講師としてきた編集者に渡した持ち込み原稿が採用され、1991年、『情断!』(講談社)でデビューした。1994年、短編小説「めんどうみてあげるね」で第47回[[日本推理作家協会賞]](短編および連作短編集部門)を受賞した。
 
以後、推理小説現代小説エッセイ時代小説歴史小説などで活躍している。現代を舞台にしたミステリーでデビューしたが、最近は歴史小説の執筆に重心を移している。
 
== 作風 ==
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