「ヨーゼフ・ロート」の版間の差分

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[[1923年]]に[[:de:Frankfurter Zeitung|Frankfurter Zeitung]]で活動する。[[1923年]]に未完の処女作『蜘蛛の巣』を発表し、明晰な文体で物語性に富む小説をこれ以降次々と発表した。『果てしなき逃走』(1927)や『ヨブ-ある平凡な男のロマン』(1930)等で作家として一定の評価を得るようになった。
 
[[1928年]]に妻Friedlが[[統合失調症]]という病名で入院させられ、ロートは精神的危機となり深酒を始め、かつ経済的危機となった。[[1929年]]には[[ブコビナ]]出身の女優Sybil Raresと知り合ったが、関係は長続きしなかった。政治的には[[シオニズム]]思想を支持する一方で、多民族が共存していたかつての[[オーストリア・ハンガリー帝国]]に郷愁を抱き続ける心情を反映したベルリン時代末期の作品に『ラデツキー行進曲』『皇帝の胸像』などがある。これらの作品でドイツによるオーストリア・ハンガリー帝国併合を描いた。
 
[[アドルフ・ヒトラー|ヒトラー]]の政権掌握後は、[[1933年]][[1月30日]]にドイツを去り、[[フランス]]など各国を転々と亡命したが、最後の10年を主に[[パリ]]で過ごした。[[1935年]]にFriedlと離婚。[[1936年]]から[[1938年]]には[[:de:Irmgard Keun|Irmgard Keun]]と恋愛関係にあった。二人は共に働き、[[ヴィリニュス]]・[[リヴィウ]]・[[ワルシャワ]]・[[ウィーン]]・[[ザルツブルク]]・[[ブリュッセル]]・[[アムステルダム]]を旅行した。ヨーゼフは二人の関係において、ユダヤの出自を除けば、[[カトリシズム|カトリック信仰]]を第一に考えていた。