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→‎沖縄水産高校野球部監督・栽弘義への思い: 元のインタビューの年に訂正
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大野は大阪桐蔭高校との決勝戦敗退に関して、当時涙を流しながらも「悔しさは全く無く『やっと終わった』という安堵感が強かった」と述べていた。[[栽弘義]]監督の起用によって投手生命を奪われたが、大野は時期によって大きく違ったコメントを残している。
 
[[19991993年]]、[[二宮清純]]の取材を受けた時には、「いつか監督を殺してやる。毎日、そればっかり考えていました。1日として監督を恨まない日はなかった。高校野球の思い出といっても辛いものばかり……。残念なことに3年間の高校生活で楽しいと思ったことは一度もなかったですね」と答えた。また、監督の叱声以上に、県予選で肘をかばって変化球を多投した時にチームメイトに「オマエのせいで甲子園行けんかったら、一生恨んでやるからな」と罵倒されたことにショックを受けたという<ref>二宮清純 [http://www.ninomiyasports.com/sc/modules/bulletin/article.php?storyid=5008 二宮清純「ノンフィクション・シアター・傑作選」 : 甲子園の光と影<前編> 投稿日時: 2013-07-21 10:00:00]</ref>。
 
一方、栽の死後である[[2010年]]に受けた取材では、「これは僕と栽監督の信頼関係で成り立った話なので」と栽に対して批判する気持ちは持っておらず、さらに「栽監督がもし勝負師に徹していたのならば、(優勝するために)スパッと切って投げさせなかったと思う」とコメントしている。そして「栽監督が『ここまで来たのだから、勝ち負けに拘らず最後まで行こう』と(大野に)温情を入れてしまい、栽監督が『栽先生』になったから、全国制覇を逃してしまったのかも」と述懐している<ref>[http://www.youtube.com/watch?v=MksZYgVTEWU&feature=related 【懐かしの甲子園】 沖縄水産 大野倫]</ref>。