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これら在来流派のうち、水戸派一刀流・新陰流・真陰流を一つに統合させ、新たに設立される[[藩校]]の[[弘道館]]で神道無念流・北辰一刀流とともに竹刀打込稽古をさせることを目的に、徳川斉昭は水戸派一刀流の大古敬道と新陰流の荷見守善に、水戸派一刀流・新陰流・真陰流を統合した流派を作ることを命じた。これによって天保12年([[1841年]])[[8月 (旧暦)|8月]]に成立したのが水府流剣術である。一刀流の雑賀八次郎が最初の水府流剣術指南に就任した。成立の経緯から徳川斉昭を流祖としている。
斉昭が水府流剣術を成立させた背景は、当時の水戸藩は、藩政改革を積極的にすすめようとする改革派と、これを阻止しようとする保守派とに分裂しており、改革派は新興流派の神道無念流・北辰一刀流を学び、保守派は在来流派を学ぶことが多かった。このような状況の中、斉昭は
水府流成立以降も流派統合政策は続けられ、2派に分かれていた[[東軍流]]は一派に統合され、判官流は東軍流に合流し、[[新当流|鹿島神道流]]は神道無念流に合流した。
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