「パルテノン神殿」の版間の差分

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紀元前5世紀中頃、[[デロス同盟]]が成立した時にはアテナイは当時の文化的な中心を担っており、政権を掌握した[[ペリクレス]]は野心的な建築計画を立案した<ref name="louvre" />。アクロポリスの丘に現存する重要な建築物であるパルテノン神殿やプロピュライア、エレクテイオン、アテナ・ニケ神殿は当時に建立されたものである。パルテノン神殿は[[彫刻家]][[ペイディアス]](フィディアス)指導のもと建設され、彫刻装飾も彼の手で施された。[[建築家]][[イクティノス]]と[[カリクラテス]]が<ref>{{cite web|url=http://www.arch.ce.nihon-u.ac.jp/~kano/kano/greek/athens.html |language=日本語|title=ギリシア建築紀行|publisher=[[日本大学]]工学部建築学科|author=狩野勝重|accessdate=2010-08-01}}</ref>紀元前447年に施工を開始し、紀元前432年にはほぼ完了したが、装飾の製作は少なくとも紀元前431年までは継続されていた。
 
パルテノン神殿建設への支出明細が一部残っており、それによるとアテナイから16km離れたペンテリコン山[[:en:Mount Pentelicus|(en)]]<ref name="osaka-u">{{cite web|url=http://www7.mapse.eng.osaka-u.ac.jp/member/Toyoda/essay/MisMatch/MisMatch.html|language=日本語|title=ミスマッチ‐不思議でないことの不思議さ‐|publisher=[[大阪大学]]工学部|author=豊田政男|accessdate=2010-08-01}}</ref>から切り出した石材 ([[大理石]])が使われて、アクロポリスまでの運送に多額の経費が掛かった。この資金の一部には、紀元前454年に[[デロス島]]からアクロポリスに移された[[デロス同盟]]の宝物が宛がわれた。
 
[[ドーリア式]]を伝える神殿で、現存するものの中ではヘファイストス神殿[[:en:Temple of Hephaestus|(en)]]が最も往時の形を残しているが、建設当時のパルテノン神殿は最高峰の建築だった。ジョン・ジュリアス・クーパー[[:en:John Julius Cooper|(en)]]は、「(パルテノン神殿は)今まで建設された全ての中で無二のドーリア式建築物という評に浴している。古代のものでありながら、その建築にそなわる気品は伝説的でもあり、特に[[スタイロベート]]の湾曲、テーパがつけられたナオス(本殿)[[:en:naos (architecture)|(en)]]の壁、[[エンタシス]]の円柱などが巧みな調和を醸している。」と評した<ref>John Julius Norwich, ''Great Architecture of the World'', 2001, p.63</ref>。「エンタシス」とは、上に向かうにつれ大きくなる円柱のわずかな膨らみを指し、パルテノン神殿のそれは先例の葉巻のような形状に比べれば変化は少ない。円柱が立つ[[スタイロベート]]は、他のギリシア神殿と同様に<ref>And in the surviving foundations of the preceding Older Parthenon (Penrose, ''Principles of Athenian Architecture'' 2nd ed. ch. II.3, plate 9).</ref>ほんの少し上に凸の放物線状の形をなしており、これは雨を排水する意図が盛り込まれている。この形からすると円柱上部は外向きに開いているのではと思いがちだが、実際には内側へわずかに傾いて立てられている<ref name="Kodai54" />。柱はどれも同じ長さをしており、そのため[[アーキトレーブ]]や屋根もスタイロベート上部と同様な湾曲があり、ゴーハム・スティーブンスは神殿の西側前面が東側よりもわずかに高くなっている点と併せて「全てが繊細な曲線を構築する規則に従っている」と指摘した<ref>Penrose ''op. cit.'' pp 32-34, found the difference motivated by economies of labour; Gorham P. Stevens, "Concerning the Impressiveness of the Parthenon" ''American Journal of Archaeology'' '''66'''.3 (July 1962:337-338).</ref>。このような設計に含まれた意図について、「光がもたらす気品」を狙ったという説もあるが、一種の「錯覚による逆説的効果」を狙ったと考えられる<ref>Archeologists discuss similarly curved architecture and offer the theory. Nova, "Secrets of the Parthenon," PBS. http://video.yahoo.com/watch/1849622/6070405</ref>。2本の平行線を描く柱を見上げた時、梁などの水平部分がたわんでいるか両端が曲がっているかのように見え、神殿の全景を概観すると、まるで天井や床が歪んでいる錯覚を覚えてしまう事をギリシア人は意識していた可能性がある。これを避け、神殿が完全に見えるように設計者はわざと曲線を加え、錯覚を補う意図があったものと考えられる。そして、直線だけで構成された単純かつ凡百の神殿と差別化する躍動感をパルテノン神殿に与えたという説もある。