「ルイス・ゴンザレス (内野手)」の版間の差分

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CHELSEA ROSE (会話 | 投稿記録)
大きく貢献は矛盾
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{{by|2007年}}1月に[[読売ジャイアンツ]]が獲得を発表。背番号は'''5'''。
 
[[脇谷亮太]]・[[小坂誠]]とともに二塁手のレギュラーを争い、[[二岡智宏]]の故障による小坂の遊撃手復帰、脇谷も三塁手へ移動したため、レギュラーは確定的と見られていた。ゴンザレスも期待通りにオープン戦で好調を維持し続けたため、{{by|2007年}}[[3月30日]]の対[[横浜ベイスターズ]]戦([[横浜スタジアム]])に出場すると、[[三浦大輔]]から左中間へ決勝本塁打を放った。しかし、次の打席で手首に受けた死球によって患部に水が溜まり、4月6日に降格した<ref>日本テレビで同日の試合をリポートしていた[[町田浩徳]]によると、ゴンザレスはこの死球によって手首を骨折していたようである。</ref>。5月に再昇格したものの、古傷の手首痛が発症して降格するなど、一軍と二軍を行ったり来たりの日々が続く。[[9月12日]]に再昇格すると、[[9月19日]]の対[[阪神タイガース]]戦([[阪神甲子園球場]])で[[ライアン・ボーグルソン]]から先制満塁本塁打を放ち、勝利に貢献した。この年は打率.247・3本塁打の成績に終わったが、得点圏打率.375と勝負強さを発揮し、堅実な守備でも貢献。優勝が決定していた[[10月2日]]には追撃の特大本塁打を放つなど、優勝にも大きく貢献した
 
{{by|2008年}}は[[アレックス・ラミレス]]の加入によって背番号'''49'''に変更。オープン戦で絶好調だったものの、外国人枠が[[セス・グライシンガー]]・[[マーク・クルーン]]・[[李承ヨプ (野球)|李承燁]]・アレックス・ラミレスで埋まったために二軍で迎える。しかし、[[李承ヨプ (野球)|李承燁]]の不振による抹消と入れ替わりに昇格すると、一塁や二塁で堅実な守備を見せ、[[4月29日]]の対[[広島東洋カープ]]戦では勝ち越し本塁打を放ち、来日初のお立ち台にも上った。その後、[[セ・パ交流戦]]初戦で4安打を放つなど、本領を発揮してチームに貢献していたが、同年[[5月23日]]、死球による脇腹の打撲を理由に降格。その後、ドーピング違反が発覚したため、5月26日に解雇。[[6月6日]]に自由契約公示された(詳細は後述を参照)。
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== プレースタイル ==
メジャー通算で1792回2/3に出場して僅か8失策を記録している(守備率.991)と、堅実な守備が持ち味。捕手以外の内野全ポジションを守ることができる[[ユーティリティープレーヤー]]で、[[外野手]]として出場したこともある。
 
== 人物・エピソード ==
* 巨人では3番・[[小笠原道大]]、4番・[[李承ヨプ (野球)|李承燁]]とともに、5番打者としてクリーンナップを任せる構想だった。開幕直後こそ5番を任されたものの、負傷の影響で昇格する機会がないまま、シーズン終了間際にようやく復帰した。
* {{by|2007年}}[[5月9日]]に[[ジェレミー・ゴンザレス]]を獲得したが、同姓でも[[ジェレミー・パウエル]]のファーストネームと被ったため、登録名は「'''GG'''」、背ネームの表記は「'''G.GONZALEZ'''」とした<ref>巨人では原則として選手名のニックネームでの登録を認めていないが、この場合は例外として許可された。</ref>。そのため、ルイス・ゴンザレスの登録名変更は行われなかった。GGは奇しくも、ゴンザレスの薬物違反が発覚した{{by|2008年}}[[5月25日]]に事故死している
* 1991年から1992年開幕直後まで[[デニー・ゴンザレス]]が在籍しており、愛称も「ゴンちゃん」だった。2009年からは[[ディッキー・ゴンザレス]]が加入し、背番号49を背負う。
* 「ベネズエラコンビ」として、ラミレスとゴンザレスの2人が[[ハイタッチ]]した後、両手を掲げるパフォーマンス「ベネズエラの舞い」を行っていた。