「笹ヶ谷鉱山」の版間の差分

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'''笹ヶ谷鉱山'''(ささがだにこうざん)は、かつて[[島根県]](旧[[石見国]])[[津和野町]]にあった[[銅]]、[[亜鉛]]等の[[鉱山]]で、1971年5月(昭和46年)に完全閉山し現在は廃鉱となっている。時期によっては、公的な書類上において'''新笹ヶ谷鉱山'''と記されている場合もある(鉱業権者がこのように登録したため)
 
津和野町北部の砥石山を中心に鉱区が存在し、内美・豊稼・長福地区を跨る形で採掘場・鉱山施設・鉱山町が存在した。
 
当初は銅を主たる産物としていたが、銅や亜鉛などの[[金属]]とともに、[[殺鼠剤]](ネズミの駆除剤)の原料となる[[砒素]](ヒ素)を副産物として産出したため、[[江戸時代]]には、むしろ砒素を主たる産物とするようになった。
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江戸時代に入り、石見銀山の産銀量が衰えるに伴い、「石見銀山」の名前は銀山としてよりも、殺鼠剤としての知名度を得るとともに、石見銀山が砒素の鉱山であるかような誤解を招いた。
 
現在でも旧笹ヶ谷鉱山周辺の残土や旧[[坑道]]からの排水には砒素が含まれており、[[コンクリート]]製の堰堤が築かれるなど、大規模な鉱害防止対策が施されている。一部の坑口は津和野町によって管理されて保存されている(通常は立ち入り禁止)
 
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