「江戸っ子」の版間の差分

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しかし[[寛政の改革]]によってこうした著作は反体制的であるとして弾圧された。一方で天明期の戯作の支持者であった魚河岸の魚問屋、[[札差]]達は「江戸っ子」概念に誇りを持ち、継承していった{{sfn|田中克佳|2003|pp=144-145}}。一方で西山は文化文政期になると、下層町民が文化活動に参加するようになり、江戸っ子を自称して空威張りをはじめるようになったとしている{{sfn|田中克佳|2003|pp=146}}。
 
== 現代 ==
[[高度経済成長期]]以降に東北地方を中心に全国から大量の人口が移入定着したことに加えて、[[バブル経済]]によるいわゆる「[[地上げ]]」によっ地域を離れた住民も多く、実態としての「江戸っ子」は消滅の瀬戸際にあると言われており、[[江戸言葉]]を喋る昔気質の江戸っ子は少なくなっているとされる。なお、関東大震災や東京空襲が衰退の原因であるとする向きがあるが、江戸文化は災害に対して極めて耐性があることが特徴の一つであり、現に災害毎に江戸の規模が拡大された歴史があり、戦災を受けていない京都の都市文化が衰退していることからも<ref>京都市情報館/京都市の基本構想・基本計画(資料編)/課題から見る京都 1.京都市の現況/京都市ホームページ</ref>、戦災や震災とは関係性が薄いとされている。
 
== 近代・現代文化における「江戸っ子」 ==
 
== 現代の住人としての江戸っ子 ==
[[高度経済成長期]]以降に東北地方を中心に全国から大量の人口が移入定着したことに加えて、[[バブル経済]]によるいわゆる「[[地上げ]]」によっ地域を離れた住民も多く、実態としての「江戸っ子」は消滅の瀬戸際にあると言われており、[[江戸言葉]]を喋る昔気質の江戸っ子は少なくなっているとされる。なお、関東大震災や東京空襲が衰退の原因であるとする向きがあるが、江戸文化は災害に対して極めて耐性があることが特徴の一つであり、現に災害毎に江戸の規模が拡大された歴史があり、戦災を受けていない京都の都市文化が衰退していることからも<ref>京都市情報館/京都市の基本構想・基本計画(資料編)/課題から見る京都 1.京都市の現況/京都市ホームページ</ref>、戦災や震災とは関係性が薄いとされている。
江戸期から代を重ねた住人と、[[明治]]の[[東京]]改称以後に代を重ねた住人とを区別して「'''東京っ子'''(とうきょうっこ)」と呼称することがある。
 
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