「ヤッシャ・ハイフェッツ」の版間の差分

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== 生涯 ==
ハイフェッツは[[ロシア帝国]]領[[ビリニュス|ビルナ]] (現在の[[リトアニア]]の首都) に[[ユダヤ人]]として生まれた。日本ではHeifetzという綴りを[[ドイツ語]]風に読んでハイフェッツと表記することが定着しているが、もとは[[ヘブライ語]]のחפץ(ヘフェツ。「喜び」を意味する)に由来する[[イディッシュ語]]の苗字であり、ヘイフェツと発音される
 
3歳でヴァイオリンを始め、神童と呼ばれ、5歳で地元の音楽院で[[レオポルト・アウアー]]門下のイリヤ・ダヴィドヴィチ・マルキン<ref>[http://news.google.com/newspapers?nid=1755&dat=19530719&id=vHYcAAAAIBAJ&sjid=zmQEAAAAIBAJ&pg=1499,2726865]</ref>に師事、7歳で[[フェリックス・メンデルスゾーン|メンデルスゾーン]]の[[ヴァイオリン協奏曲 (メンデルスゾーン)|ヴァイオリン協奏曲]]を演奏し、デビューを果たした。[[1910年]]には、レオポルト・アウアーに師事するため、[[サンクトペテルブルク音楽院]]に入学した。12歳で[[アルトゥール・ニキシュ]]に招かれ[[ベルリン]]デビューを果たすと、同年ニキシュの[[指揮 (音楽)|指揮]]で[[ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団]]と演奏している。10代のうちに[[ヨーロッパ]]の大部分を訪れている。