「神道殺活流」の版間の差分

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'''神道殺活流骨法体術'''(しんとうさっかつりゅうこっぽうたいじゅつ)とは、[[骨法術]]の流派で[[南北朝時代 (日本)|南北朝時代]][[南條貞宗]]([[宇多天皇]]の子孫)より始まるひとつ[[中興祖]]現在、養子の伝承されていない。[[南條元続整体|南條伯耆守元続整体法]]で安土桃山時代人、元続は、南條家の家伝の骨式変形徒手矯正療術に[[明国南條式療法]]武人から学んだ術技を取り入れ母体となっとされる。(明国の武人の氏名と[[日本武術|武術]]名や[[門派]]名が不明)である。
 
[[伯耆国|伯耆]]の[[羽衣石城]]主であった南條氏の子孫と伝えられる南條元続より始まる。元続は、南條家の家伝の武術に、[[明国]]の武人から学んだ術技を加え、神道殺活流を開いたとされる。(明国の武人の氏名や武術名は不明)
骨法術以外に[[活法]]を含む。南條式療法の中興祖は[[南條禎成]]氏(1906-1981)である。
 
体術以外に[[活法]]を含んでいた。[[昭和]]に至り[[南條禎成]](1906-1981)が、この活法をもとに、経絡治療やカイロプラクティックなどの理論を採り入れ、南條式変形徒手矯正療法を大成した。
[[Category:骨法|しんとうかつさつりゆう]]
 
[[Category:骨法柔術|しんとうかつさつりゆう]]