「狭山事件」の版間の差分

 
== 解説 ==
1963年[[5月23日]]に[[部落問題|被差別部落]]出身で元養豚場勤務の[[鳶職]]手伝い・石川一雄<!--[[石川一雄]]は本項へのリダイレクト-->(当時24歳)が逮捕され、のちに強盗強姦・強盗殺人・死体遺棄・恐喝未遂・窃盗<ref group="注釈">[[1962年]][[11月19日]]、I養豚場の雇い主の指図により建築現場から杉柱材16本を盗み出した件。ならびに、[[1963年]]1月下旬頃、農家から鶏3羽を盗んで食べた件。ならびに、[[1963年]][[3月6日]]、農家から鶏2羽を盗んで食べた件。ならびに、[[1963年]][[3月7日]]、作業衣1着を盗んだ件。</ref>・森林窃盗<ref group="注釈">[[1963年]][[1月7日]]、I養豚場の雇い主らと共謀し、茅120束を盗んだ件。</ref>・傷害<ref group="注釈">[[1962年]][[11月23日]]頃、愚連隊仲間と共に17歳の少年に集団暴行を加え、全治5日間の顔面打撲傷を与えた件。</ref>・暴行<ref group="注釈">[[1963年]][[1月7日]]頃、愚連隊仲間と共に前出の17歳の少年に集団暴行を加えた件。ならびに、[[1963年]][[2月19日]]頃、交通トラブルに関連して農協職員の顔面を2回殴打した件。</ref>・横領<ref group="注釈">割賦で買ったオートバイの代金の支払いが済まぬまま、[[1962年]]6月中旬、これを知人に売り渡した件。</ref>で起訴され、一審では全面的に罪を認めたが、一審の死刑判決後に一転して[[冤罪]]を主張。その後、無期懲役刑が確定して石川は服役した([[1994年]]に仮釈放されている)。
 
本事件については、捜査過程での問題点が提起されており、石川とその弁護団及び支援団体が、冤罪を主張して再審請求をしている。また、石川が被差別部落の出身であったことから、この事件は[[部落問題|部落差別]]との関係を問われ、大々的に取り扱われることとなった。したがって、[[部落解放同盟]]や[[部落解放同盟全国連合会]]などの部落解放運動団体や、[[革命的共産主義者同盟全国委員会|中核派]]・[[革労協]]・[[社青同解放派]]などの政治党派の立場からは、この事件に関する裁判を'''狭山差別裁判'''と呼ぶ。
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