「ティプー・スルターン」の版間の差分

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ティプー・スルタンは、イギリスにとっては最大の敵と言っても過言ではなく、そのため、イギリス人は彼の死を歓喜し、同時にこれ以降、イギリスのインド植民地化は加速度的に進んでいくこととなる。
 
政戦両面に長じるだけでなく、宗教的にも寛容で、[[1791年]]に[[シュンゲーリ]]の寺院が[[マラーター]]に略奪されたときは、債権再建の援助資金を出しているし、首都シュリーランガパッタナの[[シュリーランガナート寺院]]など、ヒンドゥー寺院に対しては定期的に貢納を行っていた。
 
このように、ティプー・スルタンはとても優れた王であったが、それでいて、ムガル帝国の名目的主権は認めており、[[1788年]]に帝国の皇帝[[シャー・アーラム2世]]が、[[アフガン系]][[ロヒラ族]]の[[グラーム・カーディル]]に盲目にされたとき、彼はその切なさに涙したという。