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概要
アメリカ合衆国の独立は、アメリカの大衆に受け入れられた新しい[[共和制]]思想のような初期アメリカ社会で起こった一連の広く知的かつ社会的変化を伴った。植民地においては、政府における[[民主主義]]の役割について鋭い政治的議論があった。アメリカの共和制への移行と段階的な民主主義の拡大とは、伝統的な社会階層に混乱をもたらし、アメリカの政治的価値観の中核となる倫理観を創った<ref>Wood (1992); Greene & Pole (1994) ch 70</ref>。
 
独立への動きは、フランスからの軍事的脅威が無くなった[[1763年]]に始まったと言うことができる。イギリスは植民地を防衛する替わりに、植民地がそれに応じた費用を支払うべきという考えに立ち、一連の税金を課したが、これが不人気だった。また、植民地からは自分達の選んだ代表がイギリスの議会に出て発言する権利が無かったので、押しつけられた税法などの法律は無効だと考えた。[[ボストン]]で抗議行動を起こすと、イギリスは軍隊を送って封じようとし、アメリカは民兵を結集して[[1775年]]に戦いが始まった。アメリカ人の中にも[[ロイヤリスト|王党派]]が15ないし20%はいたと考えられるが、戦争を通じて[[パトリオティズム|愛国者]]革命勢力が領土の80ないし90%を支配し続けた。イギリス軍は幾つかの港湾都市を奪るだけに留まった。[[1776年]]、13植民地の代表が会して全会一致で[[アメリカ独立宣言]]を採択し、アメリカ合衆国を設立した。[[1778年]]にはアメリカとフランスの同盟が成立し、陸軍も海軍も同等な兵力となった。[[1778年]]の[[サラトガの戦い|サラトガ]]と[[1781年]]のヨークタウンで2つのイギリス軍大部隊が降伏し、[[1783年]]の[[パリ条約 (1783年)|1783年のパリ条約]]で和平がなった。アメリカ合衆国は北はイギリス領[[カナダ]]と、南は[[スペイン領フロリダ]]と接し、西は[[ミシシッピー川]]を境界とする広大な国となった。
 
アメリカ独立戦争の詳細については[[アメリカ独立戦争]]を参照。
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