「狭山事件」の版間の差分

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* [[樺島正法]] - [[朝田善之助]]の法律顧問で、狭山弁護団の一人。[[橋下徹]]のボス弁として知られる。
* [[鎌田慧]] - 「狭山事件の再審を求める市民の会」事務局長。アポイントメントも取らず被害者の長兄の家に押しかけて面会を強要し、「今でも石川一雄さんが犯人だと思っているんですか」と詰問したことを『狭山事件 石川一雄、四十一年目の真実』(草思社、2004年)の中で記している。
* [[小嵐九八郎]] - 狭山闘争のデモで逮捕されたことがある<ref>[http://toshoshimbun.jp/books_newspaper/week_description.php?shinbunno=3089&syosekino=5526 評者◆西岡智(聞き手=小嵐九八郎) 水平社創立宣言の思想は生きている──狭山差別裁判糾弾の大運動は今も豊かな教訓を示す]</ref>。
* [[小松川事件]] - [[在日朝鮮人]]による女子高生レイプ殺人事件。狭山事件と同様に差別問題が絡む事件とされ、マイノリティに対する同情から[[大江健三郎]]、[[秋山駿]]、[[大岡昇平]]、[[木下順二]]、[[旗田巍]]、[[吉川英治]]、[[渡辺一夫]]など当時の[[進歩的文化人]]や在日朝鮮人同胞が助命嘆願運動をおこなった。犯人とされた男は自供したが物証はなく、一部では冤罪説も喧伝された<ref>小笠原和彦『李珍宇の謎 なぜ犯行を認めたのか』(三一書房)</ref><ref>築山俊昭『無実!李珍宇―小松川事件と賄婦殺し』(三一書房)</ref>。
* [[首都圏女性連続殺人事件]] - 狭山事件と同様、自白のみがほぼ唯一の証拠であり、「小野悦男さん救援会」事務局代表の[[山際永三]]が被告人の小野悦男を狭山事件の石川一雄になぞらえた<ref>小野悦男『でっちあげ 首都圏連続女性殺人事件』p.23(社会評論社、1979年)</ref>。また、「小野悦男さん救援会」代表の長谷川健三郎([[救援連絡センター]]運営委員)は狭山闘争の参加者の一人であり<ref>小野悦男『でっちあげ 首都圏連続女性殺人事件』p.259(社会評論社、1979年)</ref>、長谷川によると、警察は小野が被差別部落出身ではなく部落解放同盟が救援に乗り出すことはないと確認した上で「小野さんへのでっちあげをすすめた」という<ref>小野悦男『でっちあげ 首都圏連続女性殺人事件』p.261(社会評論社、1979年)</ref>。新聞記者の中島俊もまた、千葉県警やマスコミは部落解放同盟への懸念から小野の親類や友人に被差別部落関係者がいないか徹底的に調べ、被差別部落と無関係であることを確かめてから「クロ説を二人三脚で突っ走った」と述べている<ref>小野悦男『でっちあげ 首都圏連続女性殺人事件』p.58(社会評論社、1979年)</ref>。