「久世公堯」の版間の差分

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|就任日 = [[2000年]][[7月4日]]
|退任日 = 2000年[[7月30日]]
|退任理由 = [[第18回参議院議員通常選挙]]当選に際し多数の[[自由民主党#名義貸し党員|名義貸し党員]]を使ったことが発覚し更迭
|元首職 =
|元首 =
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|元首2 =
|}}
'''久世 公堯'''(くぜ きみたか、[[1928年]][[8月15日]] - )は[[日本]]の[[自治省|自治]][[官僚]]、[[政治家]]。
 
== 来歴・人物 ==
[[富山県]]出身。父親は[[大日本帝国陸軍|陸軍]]少将の久世弥三吉、弟は演出家で作家の[[久世光彦]]。[[東京都立日比谷高等学校|都立第一中学]]、[[東京陸軍幼年学校]]、[[陸軍士官学校_(日本)|陸軍士官学校]]、[[富山高等学校 (旧制)]]を経て[[東京大学]]法学部を卒業。その後[[自治省]](現・[[総務省]])入省、秋田県財政課長、自治省官房審議官、[[自治大学校]]校長を経て1983年、[[参議院選挙]]比例代表にて出馬、落選したが、1986年に当選、[[自由民主党 (日本)|自由民主党]]では[[宏池会|宮沢派―加藤派]]に属す。[[金融再生委員長]]、党税制調査会副会長などを務め、3期18年務めて引退。大学講師、著書多数。
 
== 閣僚更迭 ==
2000年に[[第2次森内閣]]の金融再生委員会委員長として初入閣したが、参議院比例選挙において大手マンション会社から党費を肩代わりしてもらい、自民党比例名簿上位に登載して当選していたことが発覚し、わずか1ヶ月足らずで更迭された。余談として、相手である[[ジャーナリスト]]から金銭の供与を仄めかされて断り発覚したともいわれた<ref>ブラックジャーナリズムについては、[[暴力団#歴史と区分]]を参照。</ref>。このことによって事件は、参議院比例選挙において[[非拘束名簿式]]が導入されるきっかけになった。
 
== 著書 ==
*法律と条例(有斐閣)
*地方自治制度(第一法規)
 
== 脚注 ==
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[[Category:富山県出身の人物]]
[[Category:1928年生]]
[[Category:久世光彦]]