「マーティン・ヴァン・ビューレン」の版間の差分

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== 初期の政治経歴 ==
ヴァン・ビューレンは弁護士業で財をなし、政界入りの道を開いた。[[1800年]]以降のニューヨーク政界では、選挙において[[トーマス・ジェファーソン]]と[[フェデラリスト]]が没落し、[[共和党_(アメリカ)|共和党]]は3つの党派、[[ジョージ・クリントン]]、[[ロバート・リヴィングストン]]、[[アーロン・バー]]それぞれの支持者に分裂していた。[[1799年]]以後、フェデラリストはこれらのグループの1つあるいは2つの連合によって支配されていた。ヴァン・ビューレンはクリントン支持派と連合し、[[1808年]]から[[1813年]]まで[[コロンビア郡 (ニューヨーク州)|コロンビア郡]]の代理人を務めた。また、ニューヨーク上訴裁判所の修正法廷のメンバーとして[[1847年]]まで務めた。
 
役人勤めを経て、[[1812年]]に[[ニューヨーク州]]議員、[[1821年]]にニューヨーク州選出[[アメリカ合衆国上院|上院議員]]を経て[[1828年]]にはニューヨーク州知事に就任。同年の大統領選挙で[[アンドリュー・ジャクソン]]を強力にバックアップし、その論功行賞で[[アメリカ合衆国国務長官|国務長官]]に就任した。