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[[共和政ローマ|共和政]]末期の[[古代ローマ]]においては、[[イタリア本土 (古代ローマ)|イタリア本土]]と属州[[ガリア・キサルピナ]]の境界線の役割を果たしていた。[[ローマ軍団|軍団]]を連れてこの川を越え南下することは法により禁じられており、その南下行為はすなわち共和国に対する反逆とみなされた。
 
一般にルビコン川の名前は、[[紀元前49年]][[1月10日]]、[[ローマ内戦 (紀元前49年-紀元前45年)|ローマ内戦]]において[[ユリウス・カエサル]]が軍を率いてこの川を渡った故事で知られる。この際に「'''[[賽は投げられた]]'''」({{lang|la|'''Alea jacta est'''}}, アーレア・ヤクタ・エスト)と檄を発したことは余りにも有名である。以来、「ルビコン川を渡る」は以後の運命を決め後戻りのできないような重大な決断と行動をすることの例えとして使われている。
 
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