「山辺の道」の版間の差分

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=== 海石榴市、椿市 ===
この市は、政治の中心が主として[[奈良盆地]]の東南部にあった頃、定期的に市が立って栄えた。北へどる山辺の道の起点でありそこに[[初瀬街道]]がT字形に合し、さらに[[飛鳥]]からの山田の道、磐余の道などの主要な街道が集まり<ref name="kyoudo">『ふるさとの文化遺産 郷土資料事典 29 奈良県』 143頁</ref>、また初瀬川を下り大和川に出る水運ができあがっていたから河港もでき、水陸交通などの要衝の土地であった。その場所は三輪山の南、今の[[桜井市]]金屋付近である。
 
推古紀16年([[608年]])8月の条に「唐の客を海石榴市の衢に迎ふ」とあり、[[隋]]の使者は、[[初瀬川]]を船で遡り海石榴市で船を降り、市(衢)そこで出迎えられ、[[飛鳥]]の[[小墾田宮]]に入京したのであろう。路傍に「海石榴市観音道」の石の道標があり、少し離れたところに「海石榴市観音堂」がある。
 
{{Quote|海石榴市の 八十(やそ)の衢(ちまた)に 立ちならし 結びし紐を 解かまく惜しも<ref name="kyoudo" />|作者未詳|『万葉集』巻12・2951}}
 
=== 道程 ===
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== 参考文献 ==
* 奈良地理学会編『大和を歩く-ひとあじちがう歴史地理探訪』[[奈良新聞社]] 2000年 ISBN 4-88856-031-5
* ワークス編『ふるさとの文化遺産 郷土資料事典 29 奈良県』[[人文社]] 1997年
 
== 関連項目 ==