「水俣病」の版間の差分

 
=== 原因物質の特定 ===
原因物質は容易に確定されなかった。1958年7月時点では、[[熊本大学]]医学部研究班は原因物質として[[マンガン]]、[[セレン]]、[[タリウム]]等を疑っていた。当時、水銀は疑われておらず、また前処理段階の加熱で蒸発しており検出は不可能であった。しかも有機水銀を正確に分析し物質中の含有量を測定する技術は存在していなかった。しかし、翌年(1959年)7月、熊本大学水俣病研究班は、原因物質は有機水銀だという発表を行った(1959年10月、水俣病発見者[[細川一]]院長は、院内ネコ実験により、アセトアルデヒド酢酸製造工場排水を投与した猫が水俣病を発症していることを確認し、工場責任者に報告している(この時点ではメチル水銀の抽出までには至っていない)。しかし、工場の責任者は実験結果を公表することを禁じた<ref>1962年8月、当時工学部大学院生の[[宇井純]]がチッソ新日窒附属病院を訪ねた際、猫の実験に関するノートを発見、[[細川一]]医師との確約のうえ、1963年3月と10月の『技術史研究』誌上にて、富田八郎(とんだやろう)の筆名で「水俣病(1),(2)」を発表した。</ref>)。これは、排水口周辺の海底に堆積する[[ヘドロ]]や魚介類から水銀が検出されたことによる。公式見解として、''[[メチル水銀]]化合物'' と断定したのは、1968年9月26日であった。これは、[[水銀中毒]]であることは確かだが、当時、数ある有機水銀のうちのメチル水銀が原因であるという確証が得られなかったことに起因する。この物質がメチル水銀であったことはすぐに判明したものの、初期の曖昧な内容が東大医学部などの反論を招いた。そして、それに対する再反論作成の必要に迫られるなどして原因特定の遅れを招くことになった為である。なお、当時の文献や、それを引用した文献では、原因物質は単に有機水銀と表記されていることがある。
 
=== 水俣病発生地域 ===
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