「西ヶ原遊廓」の版間の差分
かつて日本の岐阜県多治見町にあった遊廓
削除された内容 追加された内容
(相違点なし)
|
2013年8月31日 (土) 07:53時点における版
概要
岐阜の金津遊郭、大垣の旭遊郭と並ぶ東濃随一の遊郭であった。現在の新羅神社北側、広小路2丁目南存在した。
明治22年(1889年)町制施行当時の多治見町に西ヶ原遊郭が設置された。明治37年(1904年)7月9日から11日までの大雨で土岐川・笠原川合流地点が決壊し、多治見西部が浸水し遊郭一帯も床上3、4尺(約0.9m~1.2m)浸水した。
昭和5年(1929年)全盛期当時の娼楼は11軒、遊女87人だというだったという[1]。 昭和33年(1958年)売春防止法施行により廃止された。
脚注
- ^ 参考資料:『日本全国遊廓一覧』(上村行彰)1929年
参考文献
- 『多治見市史』(多治見市・多治見市史編纂室)1980年