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=== 沿革(前身企業を含めて) ===
* [[1906年]]、[[野口遵]]によって曾木電気株式会社が創業される。[[鹿児島県]][[伊佐郡]]羽月村(現在{{いつ|date=2013年7月}}<!-- See [[WP:DATED]] -->の[[伊佐市]])に[[曽木の滝|曽木水力発電所]]を建設
* [[1907年]]、曾木発電所の余剰電力を利用してカーバイドを製造することを目的として、[[熊本県]][[葦北郡]]水俣村(現在{{いつ|date=2013年7月}}<!-- See [[WP:DATED]] -->の[[水俣市]])に日本カーバイド商会<ref>wikipediaのページ「[[水俣市]]」において、日本カーバイド商会のリンク先が「[[日本カーバイド工業]]」になっているが、両社は全く別の法人であり沿革を異としており、資本関係等ない(同様に[[日本カーバイド|日本カーバイド工業]]の主要株主である[[旭硝子]]も、旧[[日窒]]から分社した[[旭化成]]とは別の企業グループである)。</ref>が設立される<ref>鹿児島県米ノ津に設立予定であったが、水俣村有力者らの誘致活動もあり水俣に設立された。野口遵翁追懐録(新日本窒素肥料内 野口遵翁追懐録編纂会、1952年9月10日)には、延長することとなる米ノ津水俣間2里(約8km)相当分の電線と電柱を会社側に寄附する、港の利便性を米ノ津以上とする、工場敷地購入に際しては高騰を抑え若し高くなったら村が負担する等の誘致策を講ずる旨決議があった、といった内容の述懐がみられる。なお、この有力者は、誘致に功績があったとして市政功労者として表彰されている(1971年11月2日付熊本日日新聞・「新聞記事見出しによる水俣病関係年表1956-1971」熊本大学図書館のリンク先切り抜き記事中段左参照[http://www.lib.kumamoto-u.ac.jp/suishin/minamata/5chronicle/1971k.html][http://www.lib.kumamoto-u.ac.jp/suishin/minamata/5chronicle/pdf/B4/k711102f.pdf])</ref>
* [[1908年]]、曾木電気株式会社と日本カーバイド商会が合併し、商号を'''日本窒素肥料株式会社'''に変更する(本社は[[大阪市|大阪]])。水俣工場での[[カーバイド]]製造を皮切りに、総合化学会社となってゆく。昭和初期に業績を伸ばしたいわゆる新興財閥[[日窒コンツェルン]]の中心企業であった
* [[1914年]]、水俣工場でカーバイドを原料とする石灰窒素法による硫安の製造開始。ヘドロが海に流れ出し漁業被害が始まる
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