「奥州探題」の版間の差分

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=== 大崎氏の世襲 ===
応永7年([[1400年]])には[[大崎詮持]]を奥州探題に任命したという。以降[[大崎氏]]が世襲する。大崎氏は奥州管領などを務めた斯波氏の末裔であり、鎌倉府を牽制する意図があったとされる。
 
しかし、もともと奥州では有力国人が各郡の[[軍勢催促]]、[[軍忠状]]証判・注進、[[使節遵行]]など守護並みに強い権限を持っている上に、南半は鎌倉府の分身である笹川・稲村御所に押さえられ、内にも[[伊達氏]]や[[蘆名氏]]などは京都扶持衆として幕府と直接結びつき、強力な支配は不可能であった。それらの有力国人は、自己が支配する各郡を領国化し、次第に戦国大名化する。それに対抗するために[[大崎氏]]も自己の直接支配領域を領国化し、一有力国人へと零落していった。