「水俣病」の版間の差分

*[[1961年]]:水俣市で女児(3歳)死亡。病理解剖で胎児性水俣病と確認。
*[[1962年]]:水俣病審査会、脳性小児マヒ患者16人を胎児性水俣病と認定。
*[[1963年]]:2月16日、熊大研究班の報告会で、[[入鹿山且朗|入鹿山]]熊大教授が「新日窒水俣工場アセトアルデヒド酢酸設備内の水銀スラッジから有機水銀塩を検出した」と発表<ref>熊本大学「新聞見出しによる水俣病関係年表」から1963年2月17日及び22日付熊本日日新聞参照
*[[1963年]]:熊本大学が水俣病の原因はメチル水銀化合物で、これは水俣湾内の貝や新日本窒素工場の汚泥から抽出されたと公式発表。
[http://www.lib.kumamoto-u.ac.jp/suishin/minamata/5chronicle/index.html][http://www.lib.kumamoto-u.ac.jp/suishin/minamata/5chronicle/pdf/B2/k630217.pdf][http://www.lib.kumamoto-u.ac.jp/suishin/minamata/5chronicle/pdf/A2/k630222.pdf]</ref>。</br>
*[[1964年]]:1月、[[白木博次]][[東京大学|東大]]医学部教授が、入鹿山らの研究結果を論拠に、[[水俣病]]の原因が[[メチル水銀]]であることを確定する論文を発表(これが1968年9月の[[厚生省]]による水俣病とメチル水銀化合物との因果関係の公式認定に繋がることとなった)。
*[[1965年]]、[[新潟大学]]は、新潟県[[阿賀野川]]流域において有機水銀中毒と見られる患者が発生していると発表した。これはのちに新潟水俣病あるいは[[第二水俣病]]と呼ばれるようになる。
 
253

回編集