「渋谷天外 (2代目)」の版間の差分

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==来歴・生涯==
[[楽天会]]の主宰者[[渋谷天外 (初代)|初代渋谷天外]]の長男として[[京都市]]で生まれる。8歳で同劇団で初舞台を踏む。父の死去(10歳で死別)後、楽天会は解散する。
 
しばらく舞台から離れていたが、[[1922年]](大正11年)「[[志賀廼家淡海]]一座」に加わる。[[1923年]](大正12年)から、[[曾我廼家十郎]]のすすめで劇作にも意欲的に取り組んだ。この時、十郎からは「しっかりものを書くんやで。出来は悪うてもええ、自分のもんを書け。ただし泥棒はあかん、癖になるさかいな。」と教えられた。後年天外は「何でも、ようメモはとります。・・・けど、実際に役に立つのは、十分の一ですな。・・・言いたいことを吐きだすのが一番と違いますか。」と小林信彦のインタビューに答えている。([[小林信彦]]「日本の喜劇人」)