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セラヤは[[中道左派]]の政治家として知られていた。ホンジュラスでは大統領の再選が禁止されていたが、セラヤは再選を目指していた。それには軍や裁判所が反発しており、違憲であるとの最高裁判決も出された。そして[[2009年]]に起こった[[クーデター]]の際、セラヤは首都[[テグシガルパ]]で軍隊によって拘束された<ref>[http://jp.ibtimes.com/article/biznews/090629/36750.html 中米ホンジュラスで軍事クーデター、セラヤ大統領をコスタリカに追放](2010年4月2日閲覧)</ref>。セラヤは空軍基地に連行されたのち、[[コスタリカ]]の[[サンホセ (コスタリカ)|サンホセ]]に移送された。
その後セラヤは2011年5月にホンジュラスに帰国し、[[テグシガルパ]]のブラジル大使館に姿を見せた<ref>ホンジュラス、セラヤ元大統領が帰国 支持者の大歓迎を受ける[http://www.afpbb.com/article/politics/2802936/7277206]</ref>。クーデター後に組織された[[全国国民抵抗戦線]](FNRP)を率いるが、再選を禁じる憲法の規定により大統領選挙への再出馬は出来ない。そのため自らの所属する「[[自由
== 脚注 ==
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