「松平信敏 (形原松平家)」の版間の差分

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'''松平 信敏'''(まつだいら のぶとし、[[嘉永]]2年([[1849年]]) - [[慶応]]元年[[5月19日 (旧暦)|5月19日]]([[1865年]][[6月12日]]))は、[[丹波国|丹波]][[丹波亀山藩|亀山藩]]の世。第6代藩主・[[松平信豪]]の六男。正室は[[広瀬藩]]主・越前[[松平直寛]]の娘。官位は従五位下、[[若狭国|若狭]]守。
 
信敏誕生以前に、父の養子となって藩主の座を継いでいた第7代藩主・[[松平信義 (丹波亀山藩主)|信義]]の養子となる。しかし、[[家督]]を継ぐことなく慶応元年(1865年)に17歳で早世した。代わって、弟の[[松平信正 (丹波亀山藩主)|信正]]が子となった。
 
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