「ドイツ国大統領」の版間の差分

[[file:RGBL I 1934 S 0747.png|thumb|180px|1934年8月2日の官報に載る元首法]]
{{Main|ナチ党の権力掌握|総統}}
ヒンデンブルクの死期が迫った1934年[[8月1日]]、ヒトラーは国家新構成法を根拠として元首法({{lang|de|Staatsoberhauptgesetz}})を制定し<ref name="南(2003)21"/>、その中でヒンデンブルクが死去した場合には、大統領職と首相職を合一させた上で、憲法が定める大統領の権能は「'''指導者兼首相'''({{lang|de|Führer und Reichskanzler}})であるアドルフ・ヒトラー」個人に対して帰属させると定めた<ref name="南(2003)19">[[#南(2003)|南(2003)]]、p.19</ref>{{#tag:ref|またヒンデンブルクの死去に伴って発されたヒトラーの布告「元首法の執行に関する命令」には、内務大臣[[ヴィルヘルム・フリック]]に対し「内閣により決定され、かつ憲法に基づき合法的に私の人格及びライヒ首相職に対しかつてのライヒ大統領の権限が委任された」と記述されている<ref name="南(2003)21">[[#南(2003)|南(2003)]]、p.21</ref>。|group=#}}。そして[[8月2日]]にヒンデンブルクが死去すると、一時間とたたずに大統領の権能はヒトラーに統合された旨が発表された<ref name="ベネット(1970)398-399">[[#ベネット(1970)|ウィーラー=ベネット(1970)]]、p.398-399</ref>。軍はヒトラー個人に対して[[忠誠宣誓 (ドイツ)|忠誠宣誓]]を行った<ref name="ベネット(1970)399">[[#ベネット(1970)|ウィーラー=ベネット(1970)]]、p.399</ref>。[[8月19日]]に元首法の賛否についての国民投票が行われ、89.9%の賛成票を受けた<ref name="阿部(2001)284">[[#阿部(2001)|阿部(2001)、p.284]]</ref><ref name="南(2003)23">[[#南(2003)|南(2003)]]、p.23</ref>。
 
かくしてヒトラーはドイツ国の元首の地位に就いたが、大統領({{lang|de|Reichspräsident}})という呼称はヒンデンブルクへの敬意のためとして永久に廃止するとされた<ref name="阿部(2001)284">[[#阿部(2001)|阿部(2001)]]、p.284</ref>。以後ヒトラーは「{{lang|de|Führer}}」もしくは「{{lang|de|Führer und Reichskanzler}}」の称号を用いた。国家元首、首相、そしてナチ党の党首としてドイツ国の最高指導者となったヒトラーの地位を日本では「'''総統'''」と称している。
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