「ドラマツルギー (社会学)」の版間の差分
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== 概要 ==
後にゴッフマンがその影響<ref>Mitchell, J. N. (1978). ''Social Exchange, Dramaturgy and Ethnomethodology: Toward a Paradigmatic Synthesis.'' New York: Elsevier.</ref>を認めた[[ケネス・バーク]]([http://en.wikipedia.org/wiki/Kenneth_Burke Kenneth Burke])は、早くも[[1945年]]には[[シェイクスピア]]からヒントを得てドラマ的方法([http://en.wikipedia.org/wiki/Dramatism dramatism])という
ドラマツルギーの社会学において、人の[[行動]]は、時間・場所およびオーディエンス{{Sup|(訳注3)}} に依存しているとされる。
言い換えれば、ゴッフマンにとって[[自己]]とは、自分が誰であるかの感覚である。そしてそれは演じられている場面の瞬間から現れるドラマチックな効果なのである<ref name="ritz">[http://en.wikipedia.org/wiki/George_Ritzer George Ritzer] (2007) ''Contemporary Sociological Theory and Its Classical Roots: The Basics.'' New York, New York. McGraw-Hill.</ref> 。
[[価値観|文化的な価値]]やノルマおよび期待に基づいて
[[パフォーマンス]]は支離滅裂になる可能性もあるけれども(演者はその様なことに気付いてはいるが)、その多くは成功している。演者
もし
== ドラマツルギーのパースペクティブ ==
''ドラマツルギーのパースペクティブ''(演劇的観察法)とは、人間の行動の原因ではなく行動の文脈を調査するものなので、他の社会学の理論から分かれたいくつかの社会学の方法論の中の1つである。
ゴッフマン
[[準拠枠]]分析において<ref>Goffman, E. (1974). Frame analysis: An essay on the organization of experience. Cambridge, MA: Harvard University</ref>、「''重要なことは、人が担う[[役割]]の背後で彼がどの様な種類の人間であるかについて、それらの役割を演じることを通して具備されるその意識である''」 と彼は記述している(p298)。
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ドラマツルギーのモデルの中で、それが[[劇場]]公演の一部であるかのように、社会的相互作用は分析される。人々は、パフォーマンスを通して彼らの個人的な特徴と彼らの意図を他人に伝えなければならない俳優である。ステージ上のように、特定の印象を他者に与えるために、人々は日常生活において舞台装置、服装、言葉、および[[非言語コミュニケーション|非言語行動]]を支配する。
オーディエンスが誰もいない時に、人々は''「舞台裏」''行動に従事する。
例えば、[[レストラン]]の給仕人は、顧客の前で一定の仕方で振る舞っているようであるが、[[キッチン]]ではもっとずっとカジュアルなのかもしれない。顧客の前で見苦しくみえるような事
他者との相互作用の前に、人は個人が成りたいと思う典型的な役割または印象のほかにも、もう一つ別にそれを準備する。劇場ではこれらの役割は''「役柄破り」''("Breaking Character")と呼ばれるものに属するし、それを見ることを想定していない何者かによってパフォーマンスが遮られてしまう舞台裏では、都合の悪い邪魔が起こるかもしれない。
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==パフォーマンス==
ゴッフマン
# '''信頼'''(Belief)。たとえそれが他人によって判断
# '''外面または「マスク」'''(The Front or 'The Mask' )は、オーディエンスが気付いている
# '''劇的表現'''(Doramatic Realization )は、その人がオーディエンスに知ってほしいパフォーマーの様子の描写である。パフォーマーが、何かを強調したい時に、その人は劇的具象化を続けるであろう<ref name="Ohio"/>。<small>(「劇的表現」→参考文献 2 の邦訳者・石黒 毅は「劇的具象化」を訳語に充てている。)</small>
# '''理想化'''(Idealization)。混乱(誤伝)を避けて、他の要素(外面、劇的表出)を強化するために、パフォーマンスはしばしば状況についての理想化された見方を呈示する。オーディエンスは、与えられた状況(パフォーマンス)が当然に見えてくるような''「アイデア」''('Idea' )をしばしば持っている。そのアイデアに従って、パフォーマーはパフォーマンスを実行しようとするものなのだ。
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==チーム==
[[チーム]](Teams)とは、相互に協力する個人のグループである。
チームメンバーは協力し、‘基本方針’を共有しなければならない。チームメンバーは情報を共有しなければならない。どのような誤りでもみんなで反省する。信頼は重要である。
役割
==舞台(局域)==
舞台(Stages)または局域(regions)とは、異なる役割と情報を持った互いに異なる個人を見つけることができる、表、裏、および局域外の3つに区分されたエリアを言う。
===表舞台===
表舞台(Front
その表舞台は、舞台装置(Setting)と個人の外面(Personal front)とを区別することを意味しているのだとゴッフマンは言う。これら2つの概念には、演者が成功したパフォーマンスを有することが必要である。
舞台装置とは、演者がパフォーマンスするために提供されなければならない[[場面]]のことである(もしそれがなくなったならば、演者はパフォーマンスができない)。
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===裏舞台===
裏舞台(Back stage)とは、パフォーマーは存在しているが、オーディエンスはいない場である。そしてそこでは、パフォーマーがそのパフォーマンスを混乱させることへの怖れもなく役柄からはずれることが可能である。それは、表舞台では抑制されていた様々な事実や、あるいは様々な種類の非公式な行いが現れるかもしれない所である。
裏舞台は表舞台とは完全に区別される。いかなる
パフォーマーが裏 - 局域(Back region)にいる時でも、彼らはそれにかかわらずまた別のパフォーマンス(チームに忠実なメンバーのパフォーマンス=裏 - 局域のパフォーマンス)の中にいる。裏 - 局域とは相対的な用語であり、それは特定のオーディエンスについてのみ存在しているのだ。つまり2人以上の人々が存在している所では、真実の''裏 - 局域''は、殆どありえないであろう。
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