「ジャンカルロ・ジャンニーニ」の版間の差分

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| 家族 = [[アドリアーノ・ジャンニーニ]] (息子)
| 公式サイト =
| 主な作品 = 『流されて』、『イノセント』、『ハンニバル』、『007 カジノ・ロワイヤル』<!--皆が認める代表作品を入力-->
| 備考 =
}}
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[[リグーリア州]]の[[ラ・スペツィア]]でうまれ、[[ナポリ]]で育った。[[ローマ]]の国立演劇アカデミーで演技を学び、舞台俳優としてキャリアをスタートさせた。
 
[[1973年]]に『愛とアナーキーの映画』で[[カンヌ国際映画祭 男優賞]]を受賞し、[[1974年]]に『[[流されて…]]』に主演、[[1977年]]には『セブン・ビューティーズ』で[[アカデミー主演男優賞]]にノミネートされるなど、一連の[[リナ・ウェルトミューラー]]監督作品で世界的に知られるようになった。
 
[[1960年代]]後半から[[アメリカ合衆国|アメリカ]]資本の作品にも出演していたが、[[1980年代]]からアメリカ映画への出演が増加、[[1989年]]公開の『ニューヨーク・ストーリー』、[[1995年]]公開の『雲の中で散歩』、[[1997年]]公開の『ミミック』などに出演、特に[[2001年]]に出演した『ハンニバル』のパッツィ刑事役は彼の存在を強烈に印象づけた。テレビと映画を合わせた出演作品は100本を超える。
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===プライベート===
次男のアドリアーノ・ジャンニーニも俳優になり『[[流されて…]]』のリメイク『[[スウェプト・アウェイ]]』で父親の演じた役を演じた。
 
18歳で演劇の道に進むまで電子工学を学んでおり、趣味はそれを活かした発明。