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{{Jesus}}
[[File:Fra Angelico 027.jpg|thumb|キリストの脇腹を槍で刺すロンギヌス。15世紀の[[フレスコ画]]]]
'''聖槍'''(せいそう、{{lang-fr-short|Sainte Lance}}、{{lang-de-short|Heilige Lanze}}、{{lang-en-short|Holy Lance}})は、[[十字架]]上の[[イエス・キリスト]]の[[死]]を確認するため、わき腹を刺したとされる[[槍]]である。
[[File:Weltliche Schatzkammer Wien (180)-3-2.jpg|thumb|[[ホーフブルク宮殿]]が所蔵する「聖槍」。[[神聖ローマ皇帝]]の[[レガリア]]である{{仮リンク|帝国宝物|de|Reichskleinodien}}の一つ。]]
'''聖槍'''(せいそう、{{lang-fr-short|Sainte Lance}}、{{lang-de-short|Heilige Lanze}}、{{lang-en-short|Holy Lance}})は、[[キリストの磔刑|磔刑]]に処せられた[[十字架]]上の[[イエス・キリスト]]の[[死]]を確認するため、わき腹を刺したとされる[[槍]]である。
 
イエスの血に触れたものとして尊重されている[[聖遺物]]のひとつ。[[新約聖書]]の「[[ヨハネによる福音書]]」に記述されている(19章34節)。ヨハネ伝の作者は、[[仮現説]]論者に対し、この箇所で、イエスが一度死んだことを強調しているとも考えられる。またキリスト受難の象徴でもある。槍を刺したローマ兵の名をとって、「'''ロンギヌスの槍'''」(仏:lance de Longin, 独:Longinuslanze, 英:Lance of Longinus)とも呼ばれる。
 
[[聖遺物]]崇拝が高まった時代にいくつかの「聖槍」が発見され、現在も複数が保存されている。
槍を刺したローマ兵の名をとって、「'''ロンギヌスの槍'''」(仏:lance de Longin, 独:Longinuslanze, 英:Lance of Longinus)とも呼ばれる。
 
== 槍の使用者について ==
「所有するものに世界を制する力を与える」との伝承があり、[[アドルフ・ヒトラー]]の野望は、彼が[[ウィーン]]の[[ホーフブルク王宮]]で聖槍の霊感を受けた時より始まるといった俗説もある。
イエスの死を確認するために槍を刺したローマ兵は、伝統的に[[ラテン語]]で[[ロンギヌス]] Longinus (Longinus)と呼ばれている。この名は、[[ニコデモ福音書]](ピラト行伝)にすでに見られる。Longinus は純粋なラテン姓であるが、一方、この兵士に当てられた[[ギリシャ語]]姓は Loginos、Longinos、Logchinos などとされ、ギリシャ語の槍を意味する語 logchē または lonchē([[ラテン語]]の lancea)と関係があるかもしれない。ロンギヌスについては後世の創作であるが、実際にイエスに槍を刺した人物がいたかどうかについては定かではない。
 
[[カトリック教会]]は[[聖遺物]]を重視してきたが、宗教改革後、分離した[[プロテスタント]]教義では単なる”物”としか看做さないため、槍は教会の隅に置き去りにされた。後に各地にいくつもの槍が発見されたが、ほとんどレプリカであり、本来実際にイエスを刺した槍の確認は取れていない。
 
==ロンギヌス==
イエスの死を確認するために槍を刺したローマ兵は、伝統的に[[ラテン語]]で[[ロンギヌス]] Longinus と呼ばれている。この名は、[[ニコデモ福音書]](ピラト行伝)にすでに見られる。Longinus は純粋なラテン姓であるが、一方、この兵士に当てられた[[ギリシャ語]]姓は Loginos、Longinos、Logchinos などとされ、ギリシャ語の槍を意味する語 logchē または lonchē([[ラテン語]]の lancea)と関係があるかもしれない。ロンギヌスについては後世の創作であるが、実際にイエスに槍を刺した人物がいたかどうかについては定かではない。
 
<!-- カトリックの[[伝承]]によれば、この人物は、[[ローマ帝国|ローマ]]軍団の百卒長{{要出典範囲|ガイウス・カッシウスとされている。}}([[ガイウス・ユリウス・カエサル|カエサル]]暗殺の首謀者の一人[[ガイウス・カッシウス・ロンギヌス]]とは別人。)-->彼は[[白内障]]を患っていたが、槍を刺した際に滴ったイエスの血がその目に落ちると視力を取り戻した。それを契機として彼は[[洗礼]]を受け、後に[[聖人|聖者]]([[聖ロンギヌス]])と言われるようになったという。
 
==アーサー王 伝説・説話に登場する聖槍 ==
===アーサー王伝説の聖槍はまた、===
キリスト教説話としての性質の濃い、[[アーサー王]]伝説の聖杯探索のくだりにも聖槍は登場する。
聖杯城カーボネックを訪れた[[円卓の騎士]]らの前に聖杯とともに現れ、穂先から血を滴らせた白い槍という姿で描写される。名前はロンゴミアントと言われている。
 
== 歴史上に現れた聖槍 ==
==十字軍==
===ローマの聖槍===
[[第一回十字軍]]が[[アンティオキア攻囲戦]]で苦戦しているとき、トゥールーズ伯[[レーモン4世 (トゥールーズ伯)|レイモン]]麾下の[[ペトルス・バルトロメオ]]なるものが、聖[[アンデレ]]のお告げにより聖槍を発見したと主張した。十字軍将兵の士気は高まり、勝利を得たが、槍の真贋を疑うものも多かったため、自ら[[神明裁判]]を買って出た。ペトルス・バルトロメオは槍をたずさえ火に飛び込んだが火傷が酷く、数日後に死亡した。
1492年、[[オスマン帝国]]のスルタン[[バヤズィト2世]]は、かつて[[聖墳墓教会]]に存在したものであるという聖槍を[[教皇]][[インノケンティウス8世 (ローマ教皇)|インノケンティウス8世]]に贈った。この聖槍は[[サン・ピエトロ大聖堂]]に保管されている。
 
===アンティオキアの聖槍===
[[第一回十字軍]]が[[アンティオキア攻囲戦]]で苦戦しているとき、トゥールーズ伯[[レーモン4世 (トゥールーズ伯)|レイモン]]麾下の[[ペトルス・バルトロメオ]]なるものが、聖[[アンデレ]]のお告げにより聖槍を発見したと主張した。十字軍将兵の士気は高まり、勝利を得たが、槍の真贋を疑うものも多かったため、自ら[[神明裁判]]を買って出た。ペトルス・バルトロメオは槍をたずさえ火に飛び込んだが火傷が酷く、数日後に死亡した。この聖槍はその後行方不明となった。
 
===神聖ローマ皇帝の聖槍===
[[神聖ローマ皇帝]]のレガリアである{{仮リンク|帝国宝物|de|Reichskleinodien}}のひとつである聖槍は、[[オットー1世 (神聖ローマ皇帝)|オットー1世]]の時代から伝わるとされている。長らく[[ニュルンベルク]]で保管されていたが、[[ナポレオン・ボナパルト|ナポレオン]]の侵攻以降は[[ウィーン]]で保管されている。[[アンシュルス]]後にはナチスによってニュルンベルクに戻されたが、戦後にはウィーンに戻っている。
 
===アルメニアの聖槍===
[[アルメニア]]の[[エチミアジン大聖堂]]に保存されている聖槍は、現在の[[ゲガルド修道院]]がある場所で発見されたと言われている。
 
==オカルティズムにおける聖槍==
「所有するものに世界を制する力を与える」との伝承があり、[[アドルフ・ヒトラー]]の野望は、彼が[[ウィーン]]の[[ホーフブルク王宮]]で聖槍の霊感を受けた時より始まるといった俗説もある。
 
== 参考文献 ==