「足利高基」の版間の差分

削除された内容 追加された内容
MRC578 (会話 | 投稿記録)
編集の要約なし
Darkmind (会話 | 投稿記録)
編集の要約なし
28行目:
[[明応]]4年([[1495年]])に[[元服]]して、[[室町幕府]]第11代[[征夷大将軍|将軍]][[足利義高]](後の義澄)の[[偏諱]]を受けて「'''高氏'''」(たかうじ)と名乗るが、初代将軍[[足利尊氏]]の初名と被ってしまうため、後に初代[[鎌倉公方]][[足利基氏]](尊氏の子)の一字により「'''高基'''」と改名した。
 
[[上杉氏]]の方針等をめぐって、父と不和になって対立する([[永正の乱]])。一時、[[宇都宮氏]]の[[宇都宮成綱]]のもとに身を寄せたこともある(ちなみに、この高基と政氏の争いのさなかに、高基の弟・[[足利義明]]は謀反を起こして独立し、[[小弓公方]]となる)。
 
その後、岳父・[[宇都宮成綱]]を中心とした高基方([[宇都宮成綱]]、[[結城政朝]]、[[小田政治]]など)の支援によって、永正9年(1512年)に古河公方として後を継ぎ、[[扇谷上杉家]]や[[山内上杉家]]と対抗して、勢力拡大に奔走した。後に山内上杉家とは和解して次男の[[上杉憲寛|晴直]](上杉憲寛)を同家の養子としている。晩年には嫡男の[[足利晴氏|晴氏]]とも対立している。