「山中毅」の版間の差分

編集の要約なし
m (ボット: 言語間リンク 6 件をウィキデータ上の d:q1189058 に転記)
 
== 人物 ==
[[石川県立輪島高等学校]]在学中の[[1956年]][[メルボルンオリンピックにおける競泳競技|メルボルンオリンピック]]に出場。[[自由形]]400mと1500mの2種目では、[[オーストラリア]]の[[マレー・ローズ]]([[1939年]] - )に敗れて銀メダルを獲得した<ref>{{citeCite web|url=http://sankei.jp.msn.com/london2012/news/120729/swm12072908210011-n1.htm |title=萩野が56年ぶりの高校生銅メダル「8秒台が出てよかった」 |publisher=産経ニュース |date=2012-07-29 |accessdate=2012-07-28 }}</ref><ref name="kotobank"/>。
 
[[早稲田大学]]進学後の[[1959年]]、自由形200m、400mで世界新記録を作った<ref name="kotobank">{{citeCite web|url=http://kotobank.jp/word/%E5%B1%B1%E4%B8%AD%E6%AF%85 |title=山中毅 |publisher=[[コトバンク]] |accessdate=2012-07-28 }}</ref>。
 
[[1960年]][[ローマオリンピックにおける競泳競技|ローマオリンピック]]でも、自由形400mでローズに敗れ銀メダルを獲得した<ref name="kotobank"/>。
 
早稲田大学卒業後、[[南カリフォルニア大学]]に留学<ref>{{citeCite web|url=http://grfx.cstv.com/photos/schools/usc/sports/m-swim/auto_pdf/mens-mg-history.pdf |title=USC's McDonald's Swim Stadium |publisher=USC |format=PDF |accessdate=2012-07-28 }}</ref>。[[1961年]]には、2ヶ月間に自由形200mの世界新記録を3度更新するなど、同じ大学に留学してきたローズとともに南カリフォルニア大学の黄金時代を築いた。
 
[[1964年]]の[[東京オリンピックにおける競泳競技|東京オリンピック]]にも出場した。
3度のオリンピックで延べ7種目に出場し、4個の銀メダルを含めて、すべて入賞した。
 
帰国後は大洋漁業(現[[マルハニチロ水産]])に就職した。また、[[イトマンスイミングスクール]]の取締役も務めている。
 
[[1983年]]、「国際水泳殿堂」 (International(International Swimming Hall of Fame) Fame)に選出された<ref>{{citeCite web|url=http://www.hickoksports.com/history/iswimhof.shtml#swimmers |title=Swimmers |publisher=国際水泳殿堂 |accessdate=2012-07-28 }}</ref>。
 
山中の母親は[[海人|海人]]で、出産の数日前まで海に潜っていた。そのため「山中は生まれる前から泳いでいる」の逸話が残っている。
 
== 外部リンク ==
* [http://www.sports-reference.com/olympics/athletes/ya/tsuyoshi-yamanaka-1.html Biography and Olympic Results] {{enEn icon}}
 
{{デフォルトソート:やまなか つよし}}
{{日本スポーツ賞大賞}}
 
匿名利用者