「竹中労」の版間の差分

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* [[1966年]] - 「東映俳優労働組合争議」を支援。
* [[1968年]] - [[山谷]]解放闘争を支援。『タレント帝国』で[[渡辺プロダクション]]のテレビ界の支配を告発。この頃、日本共産党から除籍されたと自称するも、実は1980年代初頭まで隠れ党員だったとの証言もある<ref>木村聖哉『竹中労・無頼の哀しみ』p.142(現代書館、1999年)</ref>。
* [[1969年]] - はじめて沖縄へ渡り、[[琉球独立党]]を支援する。また、多くの[[島唄]]のミュージシャンたちと交流し、イベントの構成を行う。同年、『[[週刊明星]]』連載の「書かれざる美空ひばり」における「ひばりの歌声は差別の土壌から生まれて下層社会に共鳴の音波を広げたこと、あたかもそれは、[[世阿弥]]、[[出雲阿国|出雲のお国]]が[[賎民]]階級から身を起こした[[河原者]]の系譜をほうふつとさせる。……ひばりが下層社会の出身であると書くことは『差別文書』であるのか」との文言が[[部落解放同盟]]に問題視され、糾弾される。この糾弾内容に激怒した竹中は、部落解放同盟に血闘を申し込んだ。
* [[1973年]] - [[平岡正明]]との共著『[[水滸伝]]』を刊行。平岡、[[太田竜]]と[[窮民革命論]]を唱え、“新左翼三バカトリオ”と呼ばれた。
* [[1974年]] - 『[[キネマ旬報]]』誌に、日本映画の黎明期を探る『日本映画縦断』を連載開始。