「石川光親」の版間の差分

[[陸奥国]][[仙台藩]]の一門筆頭[[陸奥石川氏|石川家]]14代当主となり角田領主となった[[石川邦光]]の弟。[[戊辰戦争]]で破れ、北海道室蘭郡の支配を邦光が許されたが、邦光が移住に失敗したため、[[伊達邦成]]に分割される。明治6年([[1873年]])、13歳で石川光親が3戸の同志を伴って移住。さらに同14年には、61戸211人が移住してきた。後に農地が狭いなどの理由から、[[泉麟太郎]]など7戸24人が[[夕張郡]][[アノロ]]に移り、現在の[[栗山町]]の前身を築いた。
 
同年9月移住[[士族]]に民籍([[平民]])編入令が出された。旧藩士らの動揺は激しく、泉麟太郎は角田に帰り、団結の核として石川邦光の弟光親の室蘭移住を懇請した。まだ20歳だった光親は[[慶應義塾]]に学んでおり、明治9年([[1876年]])に卒業、各地の小学校教師を勤めたあと明治14年に移住地に入った。
 
== 参考文献 ==
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