「奥州市」の版間の差分

==== 近代 ====
[[File:50th Anniv.of Mizusawa Latitude Observatory 8yen stamp.jpg|thumb|180px|right|緯度観測所(現・[[国立天文台]][[水沢VLBI観測所]])創立50周年記念切手([[1949年]]発行)]]
1868年、[[明治維新]]の際の[[戊辰戦争]]では、仙台藩は[[奥羽越列藩同盟]](北部政府)をつくって[[明治新政府]]と戦った。仙台藩の一門である水沢藩も白河の役に出陣したが、石切山などで敗れ、慶応4年6月12日に星隊長ら17人の死者を出した。新朝廷を創設する動きまであったが、敗戦により「東武朝廷」の誕生は成らなかった。戊辰戦争敗戦にともない、水沢伊達氏領は仙台藩から没収されたため失領。翌[[明治]]2年([[1869年]])、邦寧は旧姓に復して留守氏を名乗る。同年、居城・水沢城が[[胆沢県]]庁として使用されることになり新政府に接収され、さらに水沢伊達氏家中は陪臣であるからとして帰農を命じられ、仙台藩の[[士族]]籍を得られなかった。このため、[[士分]]を保つために家中一同そろって[[北海道]]開拓に参加すべきとの意見が出されたが、邦寧は病身のため極寒の気候に耐えられないであろうとの判断から仙台に残留し、吉田元俶・坂本平九郎が家中200名を率いて[[石狩国]][[札幌郡]]に移住した。この時、水沢伊達氏家中によって拓かれたのが平岸村(現・[[札幌市]][[豊平区]][[平岸 (札幌市)|平岸]])である。これにより大量の知識階級(武士階級)が北海道へ流出した。
 
1872年、[[廃藩置県]]により、[[胆沢県]]、[[江刺県]]設置。その後、県合併により[[一関県]]、[[水沢県]]、[[磐井県]]、[[岩手県]]となる。
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