「木内石亭」の版間の差分

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[[近江国]][[志賀郡]]下坂本村(現[[滋賀県]][[大津市]][[坂本 (大津市)|坂本]])に生まれる。捨井家に生まれるが、母の生家である木内家の養子となる。[[安永]]4年(1751年)、大坂に赴き[[津島如蘭]](桂庵)から[[本草学]]を学んだ。津島塾では[[木村蒹葭堂]]と同門。[[宝暦]]6年(1756年)には[[江戸]]の移り[[田村元雄]](藍水)に入門。[[平賀源内]]らと交流した。
 
幼少時11歳の頃から珍石奇石に興味を持ち抱き奇石の同好者数百人を集めて'''奇石会'''を主催。全各地を精力的に旅し夥しい数の奇石珍2000種を超える石を収集し、'''石の長者'''と呼ばれた。収集した奇石のなかには[[鉱物]]や石製品、[[石器]]や[[化石]]も含まれており、分類や[[石鏃]]の人説も唱えており、[[考古学]]の先駆者とも評される。また、弄石社を結成し、諸国に散らばっている愛好家達の指導的役割を果たした。著作に『[[雲根志]]』や『[[奇石産誌]]』等があり、シーボルトが著書『日本』を記すにあたっては、石器や曲玉について石亭の研究成果を利用している。[[守山宿]]の[[本像寺]]に墓がある。
 
== 参考文献 ==
中江克己 『江戸のスーパー科学者列伝』 宝島社
 
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