「アブディ・アシルタ」の版間の差分

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当時[[エジプト新王国]]/[[エジプト第18王朝]]時代。シリア地方には無数の小王国が分立していた。ハラブ([[アレッポ]])、[[ウガリト]]、[[アララハ]]、[[エブラ]]、[[カトナ]]、[[カデシュ]]、グブラ([[ビブロス]])、[[ダマスカス]]、ウルサリム([[エルサレム]])そして、[[アムル]]などである。
 
[[アマルナ文書]]には、「エジプトの臣下」と称しながらヒッタイト王[[シュッピルリウマ1世]]と結ぶアブディ・アシルタを警戒するようにと[[アメンホテプ3世]]や[[アメンホテプ4世]](エクナトン)宛てにしたためた、ビブロス王リブ・アッダ(アディとも。治世前約1375年から1355年頃)の書簡が見られる。
 
なお、アブディ・アシルタの死についても、アマルナ文書中のエクナトン宛てリブ・アッダ書簡 EA 101に言及あり。アブディ・アシルタの後継者はその子ら、プバフラ、ニクメパ、アズィルである。
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