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ヨシア王の治世時に、それまでアッシリアに従属していたユダ王国は、アッシリアの衰退によって一時独立を回復した。独立を回復したヨシア王は、ユダ国家の立て直しの為に、後述する宗教的ナショナリズムを高める政策を行う。
==ユダヤ教改革者としてのヨシア==
8歳で即位したが、16歳頃にユダヤ教徒にとってのヤーウェを求め始め、20歳頃から(ユダ規範的ーウェ信仰以外の宗徒にとって信者)偶崇拝崇敬する像を偶像と侮蔑して取り除き始めた<ref>第二[[歴代誌]]34章3節-4節</ref>。長じて[[ユダヤ教]]の改革を通した国家の再建を志し、(ユダ規範的教徒にとってーウェ信仰以外)異の信者を弾圧し、その神々の像を偶像と侮蔑して破壊すなど、ヤーウェ信仰国家としてのユダ王国の路線を再確立し、[[申命記改革]]と呼ばれる大規模な改革を行った。このことから旧約聖書の中では優れた王として描かれる。祭司[[ヒルキヤ (祭司)|ヒルキヤ]]が改革を助けた。
 
ユダヤ教聖典の記述が正しいとするならば、ヨシアは、ユダ規範的宗教ーウェ信仰への強い信仰と誇りを持っていたし、それを実際の政策でも反映させた。これには世俗的動機とのつながりもあり、純粋な精神世界だけの理由ではない。多くの世界同様、当時のオリエントでも、国家の独立とは、信ずる神の独立であり、逆に国家の隷属とは、その国家の信ずる神が、宗主国の神の下部に置かれたり、はなはだしいばあい信仰を禁じられ、宗主国の神(ユダヤの場合、バビロニアやエジプト、ギリシャの神々を押し付けられた、またユダやイスラエルもモアブなどの属国にヤーウェ信仰を強制した)を拝まされることであった。ヨシアは、アッシリアの衰退によって生じた権力の空白に伴いユダ王国の独立を回復したが、アッシリアやエジプト、フェニキア人諸国家、バビロニアなどと対等な独立国家・独立民族であるユダ王国・ユダヤ人が、他国の神を拝めることは、信仰心からだけでなく、世俗的誇りとしても許せなかったし、ユダ国家の自立を宣言するうえで、民族神へのゆるぎない忠誠と結束は、ユダの独立を守る決意を示すパフォーマンスでもあった。
 
しかし、ユダ王国への侵略者である強大国とその宗教への世俗的宗教的対抗意識から来た面はあるものの、他宗教の神像、聖像を偶像と侮蔑して破壊するなどの行為は、ユダ王国内部の、非ユダヤ教系マイノリティーへの弾圧・迫害([[人権侵害]])であった。
 
==メギドでの敗北と破滅==