「山内政豊」の版間の差分

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| 幕府 = [[江戸幕府]]
| 主君 =
| 藩 = [[土佐国|土佐]][[土佐藩#中村藩|中村藩]]主
| 氏族 = [[土佐山内氏|山内氏]]
| 父母 = 父:[[山内康豊]]、母:水野氏
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慶長3年(1598年)、[[山内一豊]]の弟康豊の次男として[[遠江国|遠州]]掛川に生まれた。慶長5年([[1600年]])の[[関ヶ原の戦い]]では、一豊が[[徳川氏]]に味方したため政豊が人質となり、身柄は徳川氏の重臣である[[大久保忠隣]]に預けられた。慶長19年([[1614年]])の[[大坂の役]]では兄忠義に従って出陣する。
 
生来病弱だったらしく、慶長14年([[1609年]])には[[疱瘡]]にかかっており、寛永6年(1629年)4月8日、嗣子無くして32歳で死去し、[[土佐国|土佐]][[土佐藩#中村藩|中村藩]]は断絶した。
 
{{中村藩主|2代|1625年 - 1629年}}