「ウィリー・エイキンズ」の版間の差分
削除された内容 追加された内容
編集の要約なし |
|||
32行目:
== 経歴 ==
=== 現役時代 ===
貧困の家庭で生まれ育った。学生時代は
{{by|1977年}}5月17日の対[[ボストン・レッドソックス]]戦でMLB初出場。
40行目:
{{by|1980年}}は打率.278・20本塁打・98打点の成績で、本塁打数と打点数は[[ジョージ・ブレット]]に次いでチーム2位を記録した。この年のロイヤルズは[[1980年のアメリカンリーグチャンピオンシップシリーズ|リーグチャンピオンシップシリーズ]]で[[ニューヨーク・ヤンキース]]を3連勝で下し、[[フィラデルフィア・フィリーズ]]との[[1980年のワールドシリーズ|ワールドシリーズ]]に進出を果たした。エイキンズはワールドシリーズの第1戦と第4戦で2本塁打ずつ放ち、6試合で打率.400を記録したが、チームは2勝4敗でワールドチャンピオンを逃した。同一シリーズで1試合2本塁打を2度記録している選手は他に{{by|2009年}}の[[チェイス・アトリー]]のみである({{by|2012年}}終了時)<ref>{{Cite web|url=http://www.nytimes.com/1994/12/13/sports/baseball-aikens-gets-20-year-term.html|title=BASEBALL; Aikens Gets 20-Year Term|work=[[ニューヨーク・タイムズ|The New York Times]]|language=英語|accessdate=2013年8月2日}}</ref>。
{{by|1983年}}に[[規定打席]]未到達ながら、125試合出場で打率.302・23本塁打・72打点を記録した。オフに[[コカイン]]所持の
[[ボウイ・クーン]][[メジャーリーグベースボール#コミッショナー制度|コミッショナー]]から1年間の[[出場停止]]処分を受けたが、その後に処分が見直されて{{by|1984年}}5月15日に復帰した<ref>{{Cite web|url=http://articles.latimes.com/1997/aug/21/sports/sp-24663|title=Baseball Drug Suspensions|work=[[ロサンゼルス・タイムズ|Los Angeles Times]]|language=英語|accessdate=2013年9月19日}}</ref>。1984年は93試合に出場して打率.205・11本塁打に終わった。
{{by|1985年}}はシーズンのほとんどを傘下AAA級[[シラキュース・チーフス|シラキュース]]で過ごした。また、この年の9月に[[ピッツバーグ]]の[[大陪審]]で行われた[[ピッツバーグ・コカインスキャンダル]]の薬物裁判に召喚されて証言した。
|