「或る「小倉日記」伝」の版間の差分
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そんな耕作に戦争が立ちふさがる。戦時下では鴎外ゆかりの者に話を聞くのは困難だった。また、耕作の麻痺症状は日に日に進んでいたのだが、戦後は食糧不足でさらに悪化し、ついには寝たきりになってしまう。<br>
江南は度々耕作の家を訪れ、食料を持ってくる。母は老体ながらも耕作を看病する。耕作は病状が改善したあとを空想した。風呂敷一杯には彼のあつめた「小倉日記」がある。<br>
しかし、昭和25年の暮れ
江南がちょうど来ていた日だ。耕作が枕から頭を上げて、聞き耳を立てる仕草をするので、母が「どうしたの?」と訊く。もうほとんど口がきけなくなっていたが、彼ははっきりと言った。鈴の音が聞こえる、と。それは死ぬ者が味わう幻聴のようだった。<br>
次の日、耕作は息を引き取る。翌年の二月、鴎外の一族が『小倉日記』の原本を発見する。日記の出現を知らずに耕作が死んだのは、幸か不幸かわからない。
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