「東急バス駒沢営業所」の版間の差分

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東京急行は[[1959年]]([[昭和]]34年)までに、世田谷区内に淡島・弦巻・瀬田の3つの営業所を立ち上げていた。しかも、当時は玉川通りを貫いていた[[東急玉川線]]の輸送力が現在の[[東急田園都市線|田園都市線]]と比べて圧倒的に小さかった。
 
折から[[前東京オリンピック|東京オリンピック]]の招致が決まり、各種競技施設の建設が始まるが、[[駒沢オリンピック公園]]は玉川線の線路から距離があり、観衆や選手・役員といった来場者のアクセス手段をバスに全面依存することになった。このため、既存の3つの営業所ではまだまだ輸送力が不足気味とされ、世田谷区内4つ目の営業所が起こされることになった。こうしてオリンピックの開会式まであと9日と迫っていた[[1964年]](昭和39年)10月1日、駒沢営業所が産声を上げた。{{see also|駒沢オリンピック公園#概要|駒澤野球場#球場の終焉、そして現在}}
 
=== 都営共管路線の多さ ===