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{{Thumbnail:ノーベル賞受賞者|1949年|ノーベル生理学・医学賞|ある種の精神病に対する前額部大脳神経切断の治療的意義の発見}}
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'''エガス・モニス'''(António Caetano de Abreu Freire Egas Moniz, [[1874年]][[11月29日]] - [[1955年]][[12月13日]])は、[[ポルトガル]]の政治家、医者(神経科医)である。
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ポルトガル中部大西洋岸の[[アヴェイロ県]]{{仮リンク|エスタレージャ|pt|Estarreja}}北郊の{{仮リンク|アヴァンカ|pt|Avanca}}に生まれた。モニスは医学を故郷に近い[[コインブラ大学]]で学び、神経学をフランスのボルドーとパリで学んだ。1902年コインブラ大学に神経学科の主任教授として戻る。[[リスボン大学]]教授となり、20年以上務めた<!-- 英語版とドイツ語版、大島蘭三郎の著書の記述が相互に矛盾している-->。その間、政治の世界に入る。政治家としてはポルトガルの国会議員を1903年から1917年の間務め、1917年外務大臣となる。1918年から1919年まで第一次世界大戦後に開かれた[[パリ講和会議]]の首席代表となった。スペイン大使を1917年から1919年まで(第一次共和制)務める。
その後、政治家を辞めて、1944年までの間はリスボン大学で神経学の教授となる。その間、1927年に[[X線]]を利用した脳血管造影法を開発する。像の陰影で脳の腫瘍や動静脈奇形などの神経性の病気の原因を診断する方法を考案する。
===ロボトミー(Lobotomy)===
1936年にモニスと同僚のアルメイダ・リマ (Almeida Lima) は当時既に知覚を脳に伝える部分として知られていた視床と、当時既に知性と感情をつかさどる部分とされていた皮質に繋がる神経繊維を外科手術で切断することに世界で初めて成功する。この手術はそれから10年程で世界で広く行なわれるようになった。モニスの方法をアメリカの
ロボトミーは主に[[統合失調症]]の治療に用いられたが、患者から人間性を不可逆的に奪う深刻な副作用が伴うことが問題視されて、エガス・モニスのノーベル賞取り消しを求める社会運動が始まり、[[1975年]]までにはまったく行なわれなくなる。現在では悪評の高い手術となっており、薬物療法が一般的となっている。
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